名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)543号 判決
そこで記録を精査し本件犯行の動機、結果並に被告人の経歴、性行、境遇、犯後の状況など諸般の情状を考察するに被告人は明治二十四年五月十五日福井県吉田郡五領ケ島村領家荒川平左衛門の四女に生れ明治四十三年五月十日肩書地の農業木戸口藤四郎に嫁し三男四女の七子を産んで成人させたが、其の内次男は若くして病歿、長男は中支で戦死し、四人の女子はそれぞれ他に嫁入り被告人の許には昭和七年十一月二十七日生れの三男繁一を残すのみとなつた。夫の藤四郎は昭和二十年九月十五日長男戦死の公報に先立つて既に死亡して居り、昭和二十二年中に嫁した三女と四女は被告人の寡婦の手で嫁入らせたものであつたが其の三女まさ子は昭和二十三年の福井震災で死んでしまつた。
長男親次には出征前に娶つた妻ひでをと其の間に昭和十六年三月四日生れの一子利孝の遺児があり、ここに被告人並に前記繁一と四人の共同生活が営まれることになつたが、兎角被告人と嫁ひでをとの折合悪く、かねて、ひでをは被告人の目を忍んで十二才も年下の少年のような繁一とひそかに肉体関係を結んでおり、事情が許せば同人と夫婦になつて木戸口家に居直る考もあつたものの、そりの合わぬ姑の被告人とは到底行末の見込はないものと観念する一方余りに繁一と年齢の差のあり過ぎる自身をも顧み、木戸口家を去ろうと決心し、被告人の目をかくれて衣類などの持物を僅か宛同郡下志比村の実家へ持ち運んだ上実父小林清五郎をもつて、被告人との別居と財産の分与を要求して来たので被告人も長女の婿の石田茂、被告人の実家の兄荒川平左衛門らを立ててこれに接渉させたが、その結果ひでをは田地二反と被告人方附近の屋敷になつている畑五畝歩を貰つて子供の利孝と共に被告人方から別居することに決し昭和二十四年六月頃右の屋敷に実父清五郎が建て与えた本件家屋に居を定めるに至つた。
新しい民法の相続の原理は地方の農村の古い伝統と旧慣に培われた人々特に被告人のような一生を封建色の横溢した農家のしきたりに繋がれて来た老年の文盲婦人の頭脳には到底理解し難い。財産は木戸口家の財産であり、長男の嫁は木戸口家の嫁である。その嫁が長男の亡き跡を捨てて家を出るにも拘らず木戸口家の財産を奪つて去るということは義理も徳義も踏まぬ行為と考えた被告人はひでをの仕打に解け難い憤懣を感じていた。ところが同年八月頃被告人が繁一と共に山仕事に曳いて行く荷車の番をさせる為め、ひでを方から連れ出して行つた孫の利孝をそのまゝ被告人方に留め置いて帰さなかつたことから双方の対立が再び表面化しひでをは実父清五郎と計り、旧民法の下で木戸口家の家督を相続したことになつている利孝の名義に木戸口家の財産全部を切替えた上、福井家庭裁判所に対し被告人を相手取り子の引渡並に財産贈与の調停を申立てその結果同年九月二十一日当事者各自の利害関係人として夫々利孝並に繁一を手続に参加せしめた上、利孝は被告人からひでをの手に返してひでをが監護養育すること、前記清五郎の思惑により利孝名義に登記せられた木戸口家の財産を甲、乙に二分し甲財産は繁一の乙財産は利孝のそれぞれの所有として分配し必要な登記手続をすることの趣旨で調停が成立したのであるが、右利孝の名義に保有せられる乙財産は事実上ひでをがこれを支配し又収益するものであり、しかもその反別は先にひでをに分与することを約してあつたものよりも田一反余と山林若干を増すことになつたので、無知固牢の被告人はこれ亦ひでをが不当な言い掛りを重ねて木戸口家の財産を先約以上に掠め取つたものであると思惟し、感情穏かでないところへ偶々ひでをは繁一の胤を宿し姙娠五、六ケ月の身重であることが同女の口から暴露したので、始めて同人らの関係を知つた被告人は掌中の繁一を仇の手に奪われたもののように愕然とし同女が自身の手許に連れ去つた孫の利孝名義の分のみでは満足せず年若い繁一を誘惑して同人名義の財産までに眼を掛けているものと思い憤激措く方なく、二度三度に亘り原判決第一乃至第三の暴行をひでをに加えるに至り、一方老先の頼みの綱と思う繁一の、親の心に背いた行動を怒り且つは嘆き其の後はひでをに近寄らせぬ為め、繁一の行動に厳しく目を光らせるようになり、何かそれらしい疑いでもあると、喧しく問い訊し時に繁一の外出からの帰宅が遅い時にはひでをの家を窺いに行くなどして監視を続けたので二人も何かと世間体を恥じたか、その関係を絶つようになつた。しかしながら、少年の心身を三十後家の肉体に蝕まれた繁一はひでをから離れると、今度は丸岡町の遊廓に足を踏み入れることを覚え、最初は時間花で帰つたが次第に大胆に宿泊して家に戻るようになり、又一つ、被告人の頭痛の種が殖えて来たのである。
昭和二十七年一月六日頃繁一の名義で農業協同組合に貯金してある通帳に怪しい節があると思つた被告人は文盲の為め、組合長の川端茂之の家に持参して見てもらつたところ、繁一が一万三千余円の金を引出して費つていることが分り、暗然として同家を辞去したのであるが、その際川端は被告人に対し「おばあちやんは嫁のことやら息子のことで心配が続くのう」と云つて慰めてやつた旨副検事の面前で供述していることは如実に被告人の境遇と心境を道破した暖い人情の迸る言として特にここに記して置きたい。
その晩前日から外泊していた繁一が帰宅したので早速右の通帳の金のことを持ち出して繁一を叱責し仏壇に詣りそこに納めてある亡夫、戦死した長男、震災死の三女らの写真を取り出して眺めつゝ胸がこみ上げ思わず泣き出し独言で「お父さん、食べたい物も食べずに倹約しての、まさ子お前にも拵えてやるものもお父さんが死んで拵えてやれず、勘忍してくれな」と被告人が云うのを傍で聞いていた繁一は「そんなに泣くなら出て行つてやる」と云うので被告人は一層悲しくなり胸を撫でながら仏壇の扉を閉めたのであつた。
その翌七日も繁一は昼食を終えるや否や、又外出をしようとするので被告人は腹立ち「お前、行つたり帰つたり在所の人にも恥しくてならん、お前は親の頸に繩をかけて殺す気か」と云うと、繁一は「どうでもせえ」と云つて出かけて行き、今晩も帰らぬことと思い鍵をかけて寝ていると帰つて来て、「何故鍵をかけた」と被告人に小言を云うのであつた。
翌八日繁一は又々昼食後土蔵の二階へ上り下着を着替えて洋服を着け人絹の赤い風呂敷に前年新調した合服を包んで持ち出すのを傍に着いて見ていた被告人は「之程親に心配させるのなら一層のことこの家から出て行つてくれ自分一人の方が、余程気楽だ、一旦家を出たひでをに子供を生ませて心配させるのもお前のさせたことだ。子供があつてひでをの所へ行きたいなら行けばよいし、他に欲しい女があると云うなら其の女を連れてくれば良いし此のオツカがここに居て邪魔になると云うのなら自分が出て行く」と掻き口説くのを見捨てて繁一は一言も発しないで家を出て行つたのである。
被告人は誰よりも力にしている長女の婿石田茂に来てもらつて、一ぶ始終を聞いてもらい、篤と繁一の意見もし、思案を定めたいと思い、郵便局の電話で、石田の来訪を至急乞う旨の伝言を依頼し、同人の馳走にそばなどを作り用意して十時頃まで待つたが、終に来ない為め、あきらめて寝床に就いたが、小便に起きて時計を見ると時刻は十一時半、炬燵のある寝床に戻り横にもならず敷ぶとんに坐つて上体を前に伏しつらつらと思いめぐらすに、「今晩待ちに待つた石田の婿も来ず、繁一は帰つて来ない長男や夫の死後女手で一家の大黒柱となり娘の二人まで嫁入らせ一生けん命家の為め子供の為を思うと働いて来たのに嫁のひでをは長男の戦死後はこの家に腰を落着ける気はなく、孫の利孝が相続人だとなると孫を放さず別居にも連れて行き財産も無理に取るようなことをし、繁一も親の気も知らずに勝手に出て行つたひでをに欺されて子を産ませ残りの財産さえも取られようとしているのだ」などと次々と頭に浮んで目が冴えて眠られなくなり、「これは皆な元はと云えば、嫁のひでをが悪いからだ」とひでを憎いの心が募つて来て已み難く、終に原判示の放火を思い立ち即時その実行に走つてしまつたのであつた。
以上本件放火犯罪の実行に至る被告人の環境、並に心理の経過は被告人並に関係人の副検事に対する供述を対照し実に明白に観察されるのである。
次に放火後の被告人の行動と心境を見ると、放火の現場から自宅に戻つた被告人は、心安まらず、室内をうろうろと歩き廻りひでを宅の方に近い土蔵の隅の明り窓の硝子越しにその方を眺めると、同人方下屋の中に積まれた松枝の薪の間に置いて来た炭火が漸く薪に燃え移つて火となり前面の田の雪に映えて行くのが望見され、胸を塞ぐ後悔の念に噛まれて消火にかけつけることを思つたものの、それでは自己の放火の暴露となることを恐れ果さぬ内火はいよいよ下屋の屋根を抜いて火の手を上げるようになつた時母のひでをに起され家を抜け出して来る孫の利孝の疳高な叫声を聞いて、激しく胸を衝かれた被告人は思わず表に素足のまま駈け出し、仏画と赤坊(繁一の子)を手に抱きひでをの先を歩いて来る利孝を見て「お前ら何うしたんや」と泪声を発して云うものの心では「この婆が附けた火ぢや勘弁して呉れ」と拝む心地であつたと被告人の副検事供述書は記載して居り、放火直後被告人を襲つた激しい後悔の念と良心の覚醒を実証している。
被告人は直ちに検挙せられて一切を包む所なく自供し爾来一貫した真摯の態度を持していることは記録全般を通じて窺われるところであり一方一時は痛く被告人の所為を恨んだ嫁ひでをも時を経るにつれて、漸く怒を静めると共に過去における自己の非をも反省するに至り、被告人側の親族一同の詫びと請いを容れて利孝と共に被告人方に復帰するに至つた。そして原審証人尋問調書において利孝並にひでをは被告家において被告人と共に暮らすことを誓い被告人の寛大な処遇を願う供述をしているのである。他方繁一は自ら身を退き他に職を求めて被告家を出ている現状であり、かくて、中年に達したひでをは被告人と共に過去の紛争一切を清算した上、利孝の成人の為め一生を婚家に送る決心になつており、悔悟した被告人との将来の折合も十分に期待しうるものと考えられる情況にある。しかも本件は放火の大罪であるとは云え、焼失したのはひでをの住宅一棟のみであつて第三者家屋の類焼を免れることが出来たことは不幸中の幸であり、結局本件被害はその実害の点から云つて紛争当事者のみの被害に終ることが出来たのである。
以上認定の通りの事件の動機内容であり、これら諸般の犯情を酌み一生を真面目に節倹精励して農事と育児に専念し老年に到つた被告人に対し刑の執行を猶予するのが至当である。従つて被告人を懲役二年六月の実刑に処した原判決の量刑は相当でないので刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書によりこれを破棄し更に当裁判所において次の通り被告事件につき判決する。
原判決の認定した事実に法律を適用すると被告人の原判示所為中第一の傷害の点は刑法第二百四条に第二、第三の各暴行の点は同法第二百八条に第四の放火の点は同法第百八条にそれぞれ該当するので第一乃至第三の所為についてはその所定刑中いづれも懲役刑を第四の所為については有期懲役刑をそれぞれ選択し以上の各罪は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文第十条によりその中最も重い第四の放火罪の刑に同法第十四条の制限に従う法定の加重をし犯罪の情状憫諒すべきものがあるので同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号により酌量減軽をした刑期範囲内で被告人を主文の刑(註、懲役二年六月)に処し尚お前記情状を酌量し刑法第二十五条によつて主文の期間(註、三年間)同刑の執行を猶予する。